言霊リンク集
【言の葉リンク集】②
ひろはま かずとし
『あなたは あなたで いてほしい』より
心ゆくまで
わがままに生きればいいよ
わがままに
生きるってことは
辛さも
痛みも
悲しさも
なにもかもを含めて
おもいっきり
楽しんでしまうってことです
【メッセージ】
楽しむとは、どのようなことでしょうか?
辞書ではこのように載っています。
1 満ち足りていることを実感して愉快な気持ちになる。
2 好きなことをして満足を感じる。
3 先のことに期待をかけ、そうなることを心待ちにする。
4 富む。裕福になる。
ここでいう人生を楽しむとは、満ち足りていることを実感し愉快な気持ちになること。
それではここでいう「わがまま」とは、どのような意味でしょう?
辞典を調べると余り良い意味で使われてはいませんね?
①他人のことを考えず,自分の都合だけを考えて行動する・こと(さま)。身勝手。自分勝手。
②思うとおりに贅沢をする・こと(さま)
本来の意味は、「我のまま」:自分のまま生きることの意味です。
それは、自己の気持ちを他者へ押し付けたり、自分の都合よいように生きるということではありません。
また利己的だったり、身勝手のことだったりと思われる方もいると思いますが、
「我を生きる」とは、自分の人生において責任を持つということです。
良いも悪いも、全ての事象や状況、感情、行動に責任を持つということ。
本来、我がままに生きるとは「自己の人生において責任をもって生きる」ことであり
即ちそれを「楽しむ」とは、喜怒哀楽の感情をも含め、現状や全ての事象を俯瞰して見つめ
その中において人生を味わい尽くすことにあると思います。
生きていると辛いこと悲しいこと、
理不尽だと思うこと沢山あると思います。
心に痛みを抱えて生きている方
大切な方を失って空虚感に苛まれている方…
ホントに様々な心情を抱えて人は生きています。
前向きになんて言われても、
楽観的になんて言われても無理なものは無理!
そうなんですよね…
無理矢理に感情をコントロールすることは難しいですね。
また、感情を消すことも、見てみぬふりして心を殺すのも更に苦しみを生み出してしまいます。
ですが、人は長い間、心に悲しみや痛み辛さを抱え込みすぎると
いつからかその想いや感情が、自分を縛っていることに気づかなくなります。
「楽しんではならない。」
「幸せになってはならない。」
辛い想いや悲しい記憶は、時間の経過とともにいつの間にか己を縛っていきます。
私がそうだったんです。
若い頃、両親を始め、大切な人を次々と亡くしました。
私の人生ってなんだ?
私は疫病神なんじゃないか?
私がもっとこうしてたら…
など、反省や後悔の想いや深い悲しみや喪失感が、
「私一人幸せになってはならない・・・」といつの間にか自分で自分を責めていました。
それも私自身が気づかぬうちに、潜在的意識の中に形作ってしまっていきました。
ですが、生を授かった以上、命あるものはいつか自然へと戻っていきます。
私は、自分の感情と向き合い、生きることの意味を問い続けました。
自分の中にある答えと対峙した時、初めて光が差しました。
私は、なんて傲慢だったんだろうと気づきました。
亡き愛すべき人たちに、自分の悲しさや寂しさから生まれた様々な感情を
共に背負わせて歩んでいたんだと…
厳しいようですが、悲しみや寂しさとは自分自身の想いや感情であるということ。
しかし、その想いが悲観となっていくうち、
いつの間にか亡き愛すべき方に自己の人生の責任を転嫁してしまうのです。
私は2児の母親です。
子供達には、自分の人生を生きてほしいと刹に願います。
いつ私の命の灯が消えようとも、子供たちの中で一人の人として、生きる道しるべになれたらと思っています。
そして子供達には笑っていてほしい。
人生をイキイキと歩んでいって欲しいと思っています。
人それぞれの深い心の闇は、存在します。
それを時の流れとともに癒しながら、その闇を己の一部分として認め、
抱きしめ包み込んで人生を歩んでいくこと。
それが、生きることなのかもしれません。
自分の人生を生きるとき
正解も不正解もありません。
正しいとか間違っているとか…それもないのです。
それは、人それぞれの中にある線引きや尺度にすぎないのです。
どう感じ、どう考え、どう生きるかなのだと私は思います。
自分の人生は、自分の歩み方次第で変化するということ。
いずれ私の命の灯が消えるとき、「楽しかった…」
「色々あったが、いい人生だった」と微笑むことのできるよう
今に感謝し、今という瞬間を私らしく歩みたいと思っています。
この「言の葉」は、私の生きるメッセージとして
とても奥深いことばであり、大好きな言霊のひとつです。
心に響く「言霊」として
皆様にお届けできたら幸いです・・・🌹